中等・大學・職業野球通信第11号
−朝日新聞の野球害毒論に断固反論する!−
野球害毒論の先頭・一高校長新渡戸稲造氏
なんという暴論であろうか。我らの愛する野球が害毒とは。
8月29日から9月19日まで、朝日新聞に「野球と其害毒」なる珍論が掲載された。
単に珍であるのみならば我らもただ笑ってこれを見過ごしたであろう。世間の耳目を惹きたいがためのみに愚者が道理を曲げて自説を主張するということはよくあるからである。
しかし、これが第一高等学校校長新渡戸稲造氏や学習院校長乃木希典氏など、世論に多大なる影響を与えうる人々の暴論とあれば、看過することはできない。
その論たるや、「野球は巾着切(スリ)の遊戯」であるとか、「掌で球を受けるとその衝撃が脳天に響いて頭が悪くなる」などといった馬鹿馬鹿しいもの。また、学生が野球に夢中になって勉学が疎かになるとか、野球がうまいというだけで入学に際して便宜を図る学校がある、といったもっともらしい論もある。
だが、現在大手を振って奨励されている柔剣道を考えていただきたい。
「野球は巾着切の遊戯」というのは、打者に打たれまいとカーブを投げたり、次の塁を盗もうとしたりすることを指して卑怯であるといいたいのだろうが、では剣道はどうか。北辰一刀流の奥義は「面切り落とし面」といわれるが、これは要するに「面スリ面」であって、相手の打突をすり抜けて面を打つものである。柔道の「内股すかし」などの「すかし技」もご同様。我々がこれを「卑怯なり」と言わないのはそれが高度な技術に裏打ちされているからで、第一こうした技術を認めないのであれば「柔よく剛を制す」という武術の精神そのものが成り立たないではないか。
掌で球を受けると頭が悪くなるなどというのはまさに「頭の悪い」者の蒙論であって、それならば年中脳天そのものを竹刀で叩かれている剣道家などはとっくに痴呆と化していてよい。しょっちゅう畳に全身を叩きつけられている(あまつさえ自ら受身の練習と称して叩きつけている)柔道家もご同様である。
また、勉学が疎かになる、野球選手が入学に便宜を与えられるなど、もっともらしい意見も、柔剣道の得意な学生を考えていただきたい。彼らは入学はおろか、就職までも便宜を図られ、勉学を疎かにして山に篭れば「さすが武道家!」と褒め称えられるのである。
本質は同じものであるにもかかわらずこのように迫害されるものと賞賛されるものに分かれるのは野球が米国生まれの競技であるからにほかならない。
そのうちに、「野球は米国かぶれのするものであるから禁止せよ」であるとか、「野球の用語は敵性語であるから日本語化せよなどという愚昧な論議が台頭するのではないかと心配でならない。
明治44年9月20日