中等・大學・職業野球通信第14号
−痛恨!名捕手久慈次郎グラウンドに死す−
表彰を受ける久慈次郎
君ほどの名手にも油断というものがあるのだろうか。
早稲田時代・函館オーシャン時代を通じて名捕手の名をほしいままにした名手、久慈次郎が昨日、打者として攻撃中に捕手の送球をこめかみに受け、病院に運ばれたが死去した。
試合は8月19日に行われた、久慈君率いる函館オーシャンクラブ対札幌クラブ。7回表、函館の攻撃。得点は札幌が2-1と1点リード。遊ゴロ失で出塁した走者に代走が送られ、盗塁して無死走者2塁。
この好機にプレーシングマネジャー久慈君は自ら代打として出場した。ところが札幌のバッテリーは敬遠の四球。
久慈が1塁に歩きかけたとき、2塁走者がするするとリードした。当然捕手吉田は2塁に牽制球を投げる。ところが、マネジャーでもある久慈君は、急に作戦を思い出したのか、くるりと本塁方向に歩き始め、次打者に指示を与えようと前かがみになってしまったのである。
なんという悪い偶然であろうか。吉田君の投げたボールは、久慈君のコメカミに当たってしまったのである。
久慈君は、札幌市立病院に運ばれたが、脳内出血により42歳の生涯を閉じた。
葬儀は23日に行われた。
故人の恩師安部磯雄の葬儀の際に捕手吉田に与えた言葉は満場の会葬者をことごとく泣かしめた。それは以下の通りである。
−彼ほど人望のあった人はいない。彼を呼ぶのに久慈君という人はなく、一様に次郎さんと愛称を用いていたのでもわかりましょう。また、彼ほど純真な人間もまれです。私が特に深い愛情を有しているのも、この純真さのゆえでした。今日突然、久慈君ほどの人物を失ったことは、皆様ご同様、まさに断腸の思いでありますが、同時にかかる事態を惹起すべき不幸な運命を与えられた札幌倶楽部の吉田君の胸中をお察しすれば、まことに同情にたえません。誰が、故意にあんな事をしでかしましょう。それは人間として考えられぬ事です。すべては神のみが知る偶然によることですが、しかし吉田君は生涯忘れ得ぬ不幸な出来事として煩悶されているかも知れない。だが、万事が過ぎ去りました。吉田君は一日も早く暗い記憶を拭い去り、虚心坦懐、心機一転して再びグラウンドに立つべきです。故久慈君もそれを望んでいると確信いたします。どうか、今日ご参列の方々のうち吉田君にお会いする方がございましたら、安部がこう申していたと伝えてください。−
記者も思わずもらい泣きしたことを告白する。
次郎さん、さようなら。天国から日本野球の行く末を見守ってください。
昭和14年8月24日