中等・大學・職業野球通信第4

−痛恨!影浦将ジャングルに散る−

写真はタ軍時代の影浦

 我々は遂にこの痛恨の日を迎えてしまったのである。

 職業野球、否、日本野球最強の打者、タイガース影浦将君がフイリッピン・カラングラン島で戦死したとの報が編集部に届けられた。

 マラリアの高熱に冒されながらも、分隊の食糧を探すべく巨体を引きずりながらジャングルを彷徨い、敵弾に倒れたということである。

 影浦こそは野球の申し子。

松山商業時代は甲子園大会で宿敵中京商相手に死闘を繰り広げ、特に昭和7年夏には決勝で力投、後一歩まで追い詰めながら、打球を膝に受け、骨折しながら三塁を守るも、遂に涙を呑んだ。

進学した立教大でも投手・主力打者として活躍、中退して職業野球タイガースに身を投じた。

タ軍でも打者のバットをへし折るナチュラール・インシュートと、遠投120mの強肩、立大グラウンドを跳び越してその先にある小川を越えるという空前の遠打力により、投打に活躍した。

特に昭和11年選手権争奪戦において、巨人・沢村から洲崎球場場外に放った「太平洋ホームラン」は忘れられない。

一人の野球人の記録した、最優秀防御率と打点王という、投打の最高勲章も空前絶後であろう。

昨年1113日の職業野球休止以来、全国のどこにもグラブやバットを持った人々の姿を見ないが、我らはなんとしても日本野球復活という決意を胸に秘めつつこの戦争を生き延びよう。それこそが君の本意と思われるからだ。

昭和20520

 

 

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