.原貝貨

 製造地‐殷または西周 製作年代‐BC一二〇〇頃〜BC七〇〇頃 製作者‐殷または周の各帝王 材質‐貝 価格‐二千円前後(筆者の市場調査による)   

中国における貨幣は子安貝(宝貝)から始まったとされる。この、原貝貨と呼ばれる、多くは殷や周の墓から出土した子安貝も、貨幣であると考えられてきた。そして、その起源は殷まで溯るとされてきた。

 殷や周の時代といったら神話との区別がつかないほどの昔であり、この古銭をながめるとさまざまな想像を巡らしたくなる。 たとえば、殷の最後の王様である紂王は、肉の柱を立て、酒の池を作ってそこで裸の男女を絡み合わせて毎日毎日酒に溺れ、ついには周の文王に滅ぼされたという。「酒池肉林」という言葉は現代でも暴虐と淫乱を表す言葉として残っている。紂王はとても頭のいい人物だったというが、その胸中にはどんなものがあったのだろうか。 また、殷を滅ぼした西周にしても、最後の幽王は、今まで一度も笑わなかった妲姫(だっき)が、間違った狼煙(のろし)によって集まった諸公のうろたえる姿を見て初めて笑ったため、彼女を笑わせたい一心で何度も偽の狼煙を上げ、本当に異民族が侵入してきたときにはだれも相手にせず、ついに滅ぼされてしまったという。まるで「狼少年」のような話だが、妲姫はもともと異民族から幽王に奪われて来た姫だったという。あるいは意図的に笑っていたのかもしれない。紂王も幽王も妲姫もこの原貝貨でさまざまなものを購入していたのだろうか。まったく想像の種には欠かない。

  しかし、私には、どうも腑に落ちない点がある。それは、この原貝貨といわれる遺物には文字が刻まれていないことだ。中国人は文字の民である。文字が発明されたときから、自分の業績は必ずといっていいほど文字にしてきた。かつて単なる伝説の王朝であると考えられて来た殷王朝の実在が確かめられたのも、甲骨文字を刻んだ文物が見つかったからだ。この点は、長らく墓に文字の刻まれたものを入れなかった日本人や韓国・朝鮮人とは大いに異なっている。次の項に挙げる蟻鼻銭は明らかに子安貝の形を模したものだが、ちゃんと文字が刻まれている。にもかかわらず、私の知る限りでは、文字を刻んだ原貝貨など聞いたことがない。仮にも中国の貨幣であるのに、重量も額面も、その他一切文字を刻んでいない貨幣というものはありうるのだろうか。大いに怪しい。私は殷や西周の時代はまだ物々交換の時代で、原貝貨は装飾品の一種だと思っている。同じ理由で、骨製貝貨(骨で造った貝貨)・石製貝貨(石で造った貝貨)・銅製貝貨(銅で造った貝貨)・銅製貝貨鍍金(銅で造った貝貨に金メッキしたもの)・魚幣(魚の形をした銅片)・磐幣(楽器を模した銅片)なども貨幣とは認めがたい。 また、現代に採れる子安貝に泥を塗り付ければ原貝貨の出来上がりであるから、これほど偽物の作りやすい古銭もあるまい。私の持っている奴も値段が値段だからおそらくはそういうものの一つだろう。逆にいえば、甲骨文字を刻んだ貝貨などが出土すれば私の説は覆されるわけだが、そんな日が古銭収集家としては待ち遠しい。

 

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