3.蟻鼻銭

 製造地‐楚(春秋・戦国時代の各貨幣の製造地については、李学勤『春秋戦国時代の歴史と文物』によった。)製作年代‐春秋時代・BC一〇〇〇頃 製作者‐楚の各王 材質‐銅 価格‐二千円前後

 古代中国では華北に展開した黄河文明のほかに、華南の長江を中心にした別系統の文明があったことは、今や考古学界の常識である。華北と華南では人種や言語が異なるが、華南を代表する国家がこの楚である。楚は西周が衰え始めるBC八世紀ころから強力となり、周が東遷し、群雄が割拠し始めるBC七世紀には、荘王が春秋五覇の一つとなった。しかしその後、内紛によって国力が衰え、BC二二三年に秦によって滅ぼされる。

 楚の風習は思わぬ形で現在の我々に伝わっている。五月五日と言えば子供の日であり、皆がちまきを食べるが、これはもともと楚の国の詩人屈原にちなんだ風習と言われている。傾いて行く国勢を何とか挽回すべく、国王に進言を続けた屈原だったが、受け入れられず、逆に君側の奸臣らよって追放され、憂国詩「離騒」をものした後、汨羅(ぺきら)という川に身を投げて死んでしまう。この屈原の魂を慰め、水の底でもひもじい思いをしないようにと土地の人が竹に包んだ米を川に投げ込んだのがちまきの始まりだということである。

 さて、この蟻鼻銭であるが、中国では鬼瞼銭(きけんせん)と呼ばれることが多い。「蟻鼻」はアリの頭、「鬼瞼」は鬼の顔で、いずれも顔を意味する名称である。そういう目でこの銭を見ていると、なにやら北欧の画家ムンクの「叫び」に描かれた人物の顔を連想させ、少々気味が悪い。顔のように見える文様は実は「貝」という楚の文字らしい。先にも述べたように、「文字の国」中国で貨幣に文字が入っていないというのは不自然である。華南の方が経済的に豊かで貨幣経済が発達しやすい条件があったことを考えれば、中国最初の貨幣はこの蟻鼻銭であったのかもしれないのである。

 楚の国では蟻鼻銭のほかに、現存する最古の金貨である郢爰金(えいえんきん)を鋳造している。中国は近代に至るまで通用貨幣としては金銭を作らず、地金で通用していた国だから、これが近代以前唯一の流通した金貨ともいえるかもしれない。これがコレクションにあったらさぞうれしかろうが、市場に登場した話を聞かないし、出ても庶民に手の出る値段ではあるまい。偽物の問題もあるから、本の写真や博物館で鑑賞する方が無難である。 また、華南には「呉越同舟」「臥薪嘗胆」などの故事で有名な呉の国と越の国があったが、はっきりとこの国のものと分かる貨幣はない。これももし発掘されたらおもしろくてたまらないものの一つだろう。

 

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