7明刀

‐燕 教科書に出ているような、古代中国の円形でない貨幣に興味を持つ人は多いが、博物館にしかないか、市場に出ていてもとんでもない高値だと思っている人が多い。もちろん古銭収集家はそんなことは思っていないが。この明刀などもその一つで、その形状はだれでも知っているが、実は自分にも手の届く値段だということはほとんどの人が知らない。しかし、この明刀は何万枚もまとめて出土するものである。存在数に比べて需要が小さければ値段は安い。確かに日中国交回復以前は高かったが、まとめて入ってくるようになってからはすっかり安くなった。一九九八年現在中国の輸出禁制品にも含まれていないから、これからもかつてのような高値にはなるまい。密輸品は安いが偽物も多い。しかし、現在の明刀程度の値段なら偽物をつかまされてもあまり悔しくない。王莽の貨布とともに子供の教育用に「一家に一本」ほしい古銭である。カネといえばゲームセンターのコインみたいにちゃちで丸いか紙切れのようなもの、と思い込んでいる子供に、古代中国の非円形貨幣のインパクトは強い。この貨幣に触れることで今のガキどもも少しはお金のありがたみを知るのではないだろうか。 燕は戦国七雄の一つ。中原(黄河中流域。殷・周・秦・漢など多くの国がここに首都を置いたので、この地域の争奪が各国の命運を決めた。)から遠かったので、司馬遷の『史記』などにもあまり登場しないが、明刀が韓国の王墓から見つかったりして、むしろ中国周辺の民族との関係が深かった国である。 古今東西のあらゆる暗殺者の中でブルータスと共に最も有名なのは「風蕭々として易水寒し、壮士去って復た還らず」の詩で有名な荊軻(けいか)だが、この荊軻に始皇帝(当時は秦王政)の暗殺を依頼したのが燕の太子丹である。荊軻の始皇帝暗殺未遂のいきさつは一遍の美しい詩なのでぜひ『史記』の原文に当たっていただきたいが、太子丹の父親の燕王は息子を斬らせ、首を始皇帝に献上して許しを請おうとしたが、許されず、BC二二二年、燕は滅ぼされた。

 

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