9楡莢半両

‐前漢・劉邦

 この楡莢半両という古銭に、漢の高祖・劉邦という人物の性格と政策が集約されている。この古銭を見た人は秦の半両銭との落差に驚くであろう。堂々とした半両銭に比べて、何と薄く小さく粗雑なこと。秦も漢も同じ大帝国でありながら、なぜこのような違いが起こるのか。

 第一は劉邦という人の性格である。第二に、全国の貨幣を統一する意図で秦半両が政府の統制の下に造られたのに対して、この貨幣は民間に委託して造らせたものだからである。

劉邦は秦の首都・咸陽に入場したときに「法は三法のみ」と布告したり、秦の郡県制に対して郡国制をとるなど、民間への干渉を極力避け、分権を進めた人物であった。これには劉邦が民間出身の苦労人で、秦の苛酷な法律に自らが苦しめられた経験のあったことが影響していたかもしれない。

楡莢半両または莢銭というのはニレの実のサヤのような小さな銭という意味のあだ名であって、正式な名称ではない。

 残念ながら劉邦のこうした意図は失敗したようだ。郡国制は呉楚七国の乱を契機としてより中央集権的なものに変化して行ったし、楡莢半両は激しいインフレーションを引き起こして庶民を苦しめ、結局国家の統制の下に造られる八銖半両に取って代わられることになった。

しかし、漢ではのちのちまで国家の経済への介入がどの程度許されるかどうか論議されていたようで、塩と鉄(歴代の国家で専売された。塩は現在の日本ですら専売である)の販売方法について論議した『塩鉄論』にそれが残されている。

 

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